2018年4月17日火曜日

性別違和という発見

前回の書き込みから随分と時間が経ってしまったが、自分というものを模索するなかで、気付いたことがまた増えたことをここに報告しようと思う。

私はどうやら身体と精神の性別が一致していないらしい。性別違和というやつだ。

数々の理不尽──多々ある些細なことの積み重ねだが、それぞれは取るに足らないものなのでここでは省略する──を受けた、あるいはそれを理不尽だと思ってしまったということに対する説明を容易にできる発見であった。
本を読み、人に出会い、対話を重ねて参考にした。
反証を試み、実験をし、結果的にその確信を深めるに至った。

今は日常的に、そして本格的に中性〜異性装をしたり、一緒に行動する仲間には、機会があればだが、自分は性別違和であるということをオープンにしている。
正直なところ、周りの柔軟性に驚かされてばかりいる。世代、もとい時代の特性かもしれない。ありがたいことだ。
積極的に攻撃してくる人は今のところいない。そればかりか、興味を持ってくれる人さえいる。

今はまだ学生の身分だが、今後を考えると不安は多い。
少し前に「女子的生活」というドラマがあり拝見したのだが、簡単に言えば、私はその男子版、「男子的生活」を送っているのが現在の状況だ。

ただ、見えぬ未来を憂いてもしょうがない。
考えなくてもいいことを、考えなければいけないことのように考えるのが悩みという行為だ。
人事を尽くして天命を待つ、というもの。
今のうちにできる努力を、ただこれからの瞬間も積み重ねていこうと思う。